そう。 だから・・・・

標準

宗教というのは、個人の体験レベルでしか成立しないのです。
安倍の参拝は、 国際問題や軍国主義復活以前に 、本来、正統な神道でないものを肯定した。

誰も信じていないのに、信じているフリをした。 総理大臣として参拝するという理屈に合わない(信教の行為として原理的におかしな)ことをした。 (玉串料は自費ですが、公用車を使用し、秘書官を同行しています) というおぞましい問題を孕んでいます。
靖国の最大の問題点は、 為政者側は、信じていない。 戦場に散った、哀れな、部分痩せ ウエスト無知無学の兵卒は、靖国を信じて死んだということです。
むしろ、戦死者を靖国に祀るのは死者への冒涜です。 お考えの視点も否定は出来ないと私は思っていますが、もともと【国家の権限で徴兵され公務として命を落とした人を祀る】と言う明治維新以来の国家施設と言う視点は否定出来ないと思うのですが、如何ですか?
(名前が分からない人への慰霊はご存知の通り別に有ること。 
国家による招聘ではないものは靖国神社構内だが別に祀ること、などから。鎮霊社。